取り急ぎまして。

散らばる思考をためておく備忘録。

女性におすすめのADHD本。宮尾益知著「女性のADHD」

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なんかこんなブログらしいタイトルというのも恥ずかしいのですが、ADHDで、かつ女性向けでおすすめのものがある。

 

宮尾益知著「女性のADHD

https://www.amazon.co.jp/dp/B01FDIFH2Y/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

 

ずばりのタイトルで、いろいろADHDを読んだ中ではこれがいちばんしっくり来た本。

 

男性のADHDが基本に語られることが多いADHD本の中で頷けないことが多かったけど、この本は腑に落ちることが多かった。

 

・女性の発達障害当事者は診断されたあと落ち込みやすい。

一番しっくり来たところは、女性の方がADHDだとわかってほっとしたあとに、今出来ないことは一生出来ないということに気づいて自信をなくしてしまう女性か多いという話

この本を手にした時まさにその段階が来ていて、「もう抗ってもこの特性からは抜けられないのだ。」「成長することはできないのだ。」「こんなに気をつけてるのに、もっともっと気をつけないと常人レベルにはなれないのだ。」と落ち込んでたから、もう深く頷いた。(解決策が「周りのサポートを得てどうにか乗り切りましょう」だったのは笑ったけど。笑)

他の本では「もっと気をつけましょう」ということばかりが言及されていて、「がんばってるのにうまくいかない」ことによる落ち込みに気づいてもらえてない気がした。

 

おそらくそれは、他の本が男性の発達障害当事者の方を元に作られていたからだと思う。

というのも、男性の方が「今なんとかなってるし、いっか」と開き直りが早いらしいのだ。

たしかに私の周りのADHD傾向のある男性の知人はみんな「ま、いっか」タイプ。まわりは気にしてても本人は気にしない。鈍感力が強くて仕事で有利だったりする。(オリジナルの発想を周りを気にせずに通しやすいからだと思う。)

 

対してADHD傾向のある女性はどっちかっていうと空気読まなきゃ!と気を張って、逆にくよくよしてしまう人の方が多いように思える。

 

 

・女性の方がすでに「矯正」されてる人が多い

 

女性の方が発達障害だとわかったあとに落ち込みやすいのは、男性より比較的「女性らしさ」の枠にはめられがちで、「こうしなきゃ」という風に「矯正」されるものの「出来ない」という失敗体験が多く、ネガティヴになりやすいから。

(男性でもそういった矯正はあると思うが、女性の方がより頻度が高く・強い矯正だと思う。)

 

「女性らしさや、「〜すべき」といった価値観にあてはめられやすいから、その分出来ないことがある女性の発達障害当事者は失敗体験も多く、自己肯定感が下がっていく」というのは、すごくよくわかる話だ。

(私もそういうところかなりある)

 

 

・目指すは「おっちょこちょいだけどかわいいひと」

 

この本では、そういった女性らしさや「〜すべき」という価値観に振り回されずに、きちんとそれなりに努力して、でもやっぱりできないことがあるから、「だけどかわいらしいよね」と言われるくらいがちょうどいいんじゃないか、「目指すはおっちょこちょいだけどかわいいひと」じゃないかと言っている。

 

たしかに周りにもでこぼこはあるけど、ある意味「そういうひと」として受け止められて、面白がられてるひとはいっぱいいる。

 

概して思うのは、発達障害だからと言ってできないことにだけ目を向けてくよくよし続けるのは自分にも周りにもプラスにならないということだ。

なるべく自分の「できる・できない」をはっきりさせて、出来るようになる努力は無理ない範囲で努力し、さらにそれ以上に得意なことをどんどんやる方がよっぽど自信もつくし、周りの役に立つということ。

 

特に仕事をしていると、そう思う。

仕事相手には発達障害であるかどうかなんて、全然関係なくて、「なにができて、なにができないか」わかって、できることをきちんとしてもらえればそれでいい。

そういう意味では発達障害当事者も健常者も関係なんかなくて、それぞれの個性・得意なことを生かして利益につながればいい。

(日本の会社だとすべて標準的にできることを要求されるからなかなか難しいけど)

 

 

 

・薬の使い方

他にも面白いなと思ったのは、ADHDと診断された子どもを持つ女性教授の話。

もともとバンバン論文を書いてバリバリと仕事をして、あまり子どもにも構わずにいたひとだったが、ADHDだとわかりコンサータを服用したら、新しい論文がまったく書けなくなったという。

薬を服用したことによる衝動性や発想力の減少や、子どものことを気遣うことができるようになって研究に割く時間が減ったことが理由に挙げられるそう。

結局その女性教授は子育てがひと段落するまでは薬を服用してADHDの症状をおさえ、子育てが終わってからは服用をやめて、発想力や衝動性を武器に元どおりバリバリと仕事をしてるという。

 

私の仕事もクリエイティブと言われる仕事に入るので、衝動性や発想力などの特性が仕事の武器になることが多い。

そういう意味ではコンサータを服用するようになってからは過集中や過活動がなくなってかなり大人しくなった。行動力はなくなったと思うし、気遣いができるようになった分、遠慮することが増えた気がする。

 

このバランスはなかなか難しい。かといってコンサータを飲まなずに、過集中でない「ほどほど」の集中力を持続し続けるのも難しい。

一度やめてみて効果を見てみるのもいいかもしれない。

 

・母親の発達障害から女性特有の発達障害について考えることに

この本を書いた著者の宮尾先生はどんな方かというと、子どもの発達障害の外来を開いてらっしゃって、その過程で発達障害傾向のある母親に会うことが多かったそう。それで女性の発達障害当事者の悩みに気付きやすかったんだとか。

 

 

・最後に

途中でも書いたので繰り返しになるが、いつも発達障害について考えると思うのは、「ひとよりできないことがあって、それが変えることのできない特性であったとしても、くよくよし続けるのが自分にも周りにも一番良くない」ということ。

出来ないなら出来ないなりに、出来ることを探して、得意なことをどんどんやっていく。そして楽しくご機嫌でいる。

周りには、出来ることで貢献する。

それが自分がいきいき生活できる唯一の手段だと思う。

「自分は残念ながらこれは出来ませんが、その代わりこれが出来ます。だからこうしたいです。」それがはっきり言えれば、誰だろうがなんだっていいのだ。

発達障害に詳しい先輩が言っていた「発達障害を考えることは、社会と他者に対して自分のスタンスとしてどうしたいか考えること」というのは、まさに言い得てるなぁと思う。

 

 

と言いつつ、なかなかにくよくよするし、自分のことが一番よくわからないから、難しいんだけどな…笑。

がんばろ。

 

 

以上!